Monthly Archives: 7月 2014

平成25年度(2013年度)会計報告

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Muhhibahに医者の定期訪問

Muhhibahセンターの周囲はジャングルで、病院、警察、スーパー、郵便局はいずれもない。したがって、新聞は来ない。郵便も配達されない。いちばん困るのは、病人がでた時である。

何年か前には、私たちのロングハウスの娘が医者になり、その個人的な好意で時々、診察をしてくれていた。が、彼女は勤務していた病院を辞め、博士コースでもう一度勉強を始め、Muhhibahセンターに医者は来なくなった。

そのことをいつか見学に来た病院関係者に訴えたことがある。訴えたから来てくれるとは思わなかったが、最近、定期的にいちばん近い州立病院から医者が来てくれるようになった。前回、もう一押しと思って、PTを医者と一緒に派遣してくれるように依頼したら、今回、医者、看護師、PT2人のチームで来てくれた。Muhhibaセンターには身体障害を持っている子ども、青年が合わせて5人。車椅子使用者は4人いる。しかし、もし、適切な補装具や適切なリハビリを受ければ、もう少し、彼らの人生が豊かになるのに、と常々考えていて、実現しなかったことだった。

これからもこのチームは定期的に訪問してくれるとのこと。心強い。こんなに田舎なのに嬉しい。スタッフにもよく見て、日常のリハビリに生かせるようにと伝えた。

 

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かわいいChaiもPaulineにせがんで真似を!

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交通事故で機能を失ったAcutも笑顔

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仲間もみんなうれしそう!

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最後にRitiがDr.と一緒にポーズ

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7月Toy Boat Project

今年度初のトイボートです。

13日日曜日、ペナンからSharneeyaさんがHelpに来てくれました。

14日、Sibuからスピードボートで、3時間、Kapitに到着。早速、Anthonyさんと相談して15日の訪問先を決めました。

15日 8:00集合 Anthonyさん、Bee engさん、Sharneeyaさん、Ken、Kazuyo そしてボートドライバー6人の旅です。ロングハウスへのおみやげを買って、9:00には出発。

 

しかし20分ぐらいRajang川を上流に行ったあたりで、私たち素人が聞いてもエンジン音に無理があるとわかりました。ボートマンは、私たちには何も告げず、少し引き返し、前にも訪れた川縁のロングハウスの近くにボートを止めました。

やがて、体にバスタオルを巻き付けた若い女性が小さなボートに重いエンジンを乗せて近づいて来ました。ボートをピッタリ私たちのボートの横につけると、若い女性とボートマンは、ゆらゆらゆれるボート対ボートで苦労して、エンジンを交換したのです。こんな大河の流れの中でも協力し合う。しかも時々、その女性は、大変な作業をしているにも関わらず、私たちを見て、ニッコリ、笑いかけてくれるのです。ほんとうに感動しました。

 

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やがて、オイルも満タンにして、再びボートが今度は低い流れるようなエンジン音をたてて、約2時間半、Rajang川を上流に進み、私たちは目的のロングハウスに到着しました。

 

そこには、14歳になるダウン症の男子がいました。学校も行ってないので、1人遊びの傾向があり、言語もないと聞いていたのですが、遊んでいるうち、充分コミニュケーションができることに気づきました。最初はおもちゃを独り占めしようとしていたのですが、他の子ども達が加わり、一緒に遊び始めると、その場は盛り上がったのです。この子がもっと多く、機会を持てるともっともっと成長するだろうと思った次第です。

 

このシャボン玉は、彼の未来への希望につながるでしょうか。

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帰りのボートは灼熱の太陽で、体が焼けるように思いましたが、ボートの中から見た青空は、力強く輝いていました。

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あの子どもたちにとって今日の一時が楽しい思い出となり、彼らのこれからが幸せでありますようにと祈りつつ。

 

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こんな大事なことが、なぜ国民抜き?

昨夜書いたこの文章、ブログに出すのは相応しくないかと逡巡しましたが、矢張り  黙っていられないので、公開することにします。多くの日本国民は、閣議決定を認め、  今後の法整備を容認するのでしょうか。(2014,7,2 マレーシア、ボルネオ島にて Ken)

          こんな大事なことが、なぜ国民抜き ?
 今日は歴史的に大変な日になった。日本国民にとって、また外国からみても、日本の国の形を示してきた基本の変更が行われたからである。こんなことが時の政権による閣議で決定したことは実に大きなことだ。しかし、実際にこれが出来るのが政権という正に権力なのだとつくづく思う。軍部の暴走とは違う怖さである。素知らぬ顔で来る怖さも!
A 国民主権を決めた憲法を、一内閣が解釈変更!
 国の最高権力者である皇帝も国王も守らなければならない憲法、国家の最高法規である憲法の下で立法府で法律がつくられ、国民はこれに守られ、同時にこれを守る。これが法治国家だ。憲法によってその権力が縛られているはずの安倍首相は今日、従来の憲法の解釈を変更する閣議決定をした。しかも、日本国憲法の最大の特質である絶対的平和主義、戦争の放棄に関する解釈の変更であり、外国に対する影響も大いにある。戦争をしない国日本、仮に為政者が戦争を願っても憲法の規定で出来ない日本、国連の多国籍軍に日本からの派兵がなくても、絶対的平和主義の国として世界各国の理解を得ていた日本。それが骨抜きになった。大きなことだ。
 戦後69年間、日本は国として武器を使わなかったし、他国から使われることもなかった。誰も殺さず、また殺されることもなかった。この歳月は、誇らしい日本の国家遺産だ。もっと歳月を延ばし永遠のものにすべきだった。憲法では「永久に」と約束したのだから。
 それにしても、憲法で絶対駄目と言っていることを、その憲法を変えることなく良しとする、そんなバカなことがあるのか。国民の意思を問うことなく、政権の解釈で。美しい日本語どころの話ではないではないか。後世の世界に、今の国民が笑われる。
B 日本国民として考えなければ。
 個別的自衛権と集団的自衛権の問題。いわば賊に襲われた時の正当防衛と、自分は襲われていないのに友人が襲われたら自分が襲われた如くに攻撃する話。あまり現実的でない例を基に、政権与党内で話し合われたようだが、重要な問題は、細かい「字句」ではない。
 日本国憲法は、日本が目指して行く方向を明示している。この目指す先を替え、別の方向を目指そうと言うのなら、なぜ国民に問わないのか。そのことが何故与党内ですら話し合われないのか。目指すのがどの方向で、どのような方法で目指すのか、が。
 日米安保条約で、有事の時に日本が守って貰うだけでは「ずるい」、卑怯ではないかという考え方がある。だが、有事どころか、平時に米国はどれだけの利益を日本から得ているかの事実無視や基地提供と駐留経費の負担など、全体を見なくては正確でない。
 有事の時守って貰うどころか、日常的に基地を提供し米軍兵士の生活を賄っているのは日本である。(金額だけ見ても、米軍が駐留す世界26カ国の負担駐留経費の全てを合計した以上の額の負担を、日本がしているという記事を見たことがある。)
 全く別の砂川事件の判例を出したり、期限は設けないと言ってきた首相が期限を付けたり、殆ど現実的とは言えない例を作って自民と公明の協議が続いたが、所詮は茶番だったのか。「おそれ」を「明確な危険」に書き換えさせたから良しとする公明党も情けない。政権の座にいると言うことは、それほどしがみつきたい魅力だと言うことだろうか。
 経済が少し上向きだから、憲法解釈はどうでも良い、と言うのが日本人の今の気持ちか。国民全体が、そんなお金の亡者になったのか。今の自分の暮らしが維持出来たら、さらに明日が快適に暮らせるのであれば、それで良いのか。実に深刻な事態だと言うことを、仮に戦争を知らなくても、もっと感じるべきではないだろうか。
 戦争が始まったら止まらない。武力を使い出したら行くところまで行く。勝つか負けるかしかない。勝っても負けても沢山の犠牲が出る。山のような悲惨、無念、そして憎しみが引き継がれる。幾世代にもわたって。
 安倍首相は集団的自衛権を限定的に行使出来る国になることは抑止力として意味があると言うが、詭弁も甚だしい。米ソ冷戦時代の核のバランスを描いているのだろうか。戦争、紛争、テロが続いているのは、世界のあちこちの人々が不満を抱き、その根底には貧困と人として誇りを傷つけられた痛みがある。富の分配を適正に行う知恵と人間らしく暮らせる哲学がなく、富める者は贅沢をし、一方には飢えた人々が溢れる。加えて、覇権主義や領土問題も絡む複雑な中で、武力による抑止力など逆効果でしかない。日本が戦力を行使できるとなれば、確実に抑止力は弱まる。真の源を探るのは、一体誰か。
C 諸外国、特に近隣諸国ではどう感じるか
 歴史認識とは何か。同じ事実でも仕掛けた方と受けた方では全く違う。日本史上でも、元寇は日本の歴史教科書にはあるが中国では載っていないのではないか。当事国で認識が違うのは当然である。第一次世界大戦のきっかけになった事件も、一方から見れば犯人、他方から見れば英雄。太平洋戦争時、日本軍は勝手にマレーシアに上陸して酷いことを沢山した。戦争の必要など全くなかったマレーシアで。日本の教科書には殆ど出てこないが、攻め込まれたマレーシアの教科書には載っている。事実はひとつでも、感じ方は違う。大切なのは、相手の国民感情を敬うことだ。特に攻めた側、被害を与えた側の配慮が、大事だ。そこを押さえてこそ外交だ。今度のこと、近隣の国々にはどう映るだろうか。
D これから平和に向けて
 武力は、平和を創れない。武力依存の妄想では平和な時代を築くことは不可能である。戦力の強化、強力な同盟国との連携が国益を守るという幻想。今は、地球規模で何をどう守るべきかを世界中で考える時である。国益などと言う発想が如何にも古くさい。もっとグローバルな視点で、生き物の命を守る時である。権力者は、さらに権力の増強を考える。「国民の命と暮らしを守る」という綺麗な言葉に、私たちは欺されてはならないと思う。 日本は独自の平和主義を貫くべきである。それは戦争をしないだけではなくて、反戦の意志であり、世界の平和を目指す行動である。他国に先駆ける平和憲法が既に70年近く前からある。これをもっと世界中に示そう。私たちは国連の決定と言えば正義と思いがちだが、武力による仲介・仲裁を正義としている訳ではない。国連も全ての事案は平和的に外交努力で解決しようとしている。集団安全保障は、やむを得ない場合の例外である。

 次の国政選挙で、我々日本人はどんな選択をするか。平和憲法の国、日本を取り戻そう。日本は、世界中から戦争をしない国との理解を得、それをきっちり継続することの方が本当に抑止力になり、世界平和に貢献出来る。結局は戦力を捨てる勇気こそが、唯一の世界平和を実現出来る最も近道であると思う。

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