ペナン ACS の歴史

1993年後半から1996年にかけて行われた調査は、ペナン州から始まりマレーシア全土に及んだが、はじめのペナン州での結果は、その後のどの州でも同じ傾向であることが分かった。全体的な傾向としては、スタッフの育成や全年齢における日中の活動の場が求められているということであった。そこで調査のパートナーであったUSMのDr.Angelineとともに、調査結果に表れたことを私たちで出来る範囲で少しでも実現するためにはどうすればよいかが検討されはじめたのが、1995年であった。マレーシアで社会的な活動をするためには、団体として政府への登録が必要条件である。そこで、研究者、実践者、及びマレーシアのNGO運営に知見のある人ということで3人に準備会に参加してもらい、団体登録の準備を始めたのである。準備会のメンバーは、USMのDr.Angeline、KL のMalaysian Care(キリスト教関係の福祉NGO)で10年以上の経験を持つMs. Kho Ai Na、NGOのDirectorの経験があり通所施設の責任者でもあるMs. Lan Lee、それに私の4人であった。このうち、Ms. Ai Naはペナン出身ということもあり、いずれは現職を辞して新しいNGOで働くことになった。
新しいNGOの活動は、マレーシアだけでなく、他の近隣諸国も視野に入れたものとすること、地域社会の中で何らかの福祉ニーズをもつ人たちを対象に地域生活を基本とする活動をするが、取りあえず知的障害から入ることなどを確認し私が具体的な案を作ることになった。案のあらましは以下の通りである。

  • 団体の名称 Asia Community Service (略称“ACS”)
    近隣アジア地域を視野に入れることと、地域福祉活動であることを団体名として明確に示した。
  • 団体の活動場所=当面の活動場所をペナン州とした。
  • 活動の方針
    今後ACSが諸事業を実施する際の団体の基本方針として最も力を注いだ部分である。主要な柱を次の4点とした。
  1. 本人の願いの実現のための支援を基本とする
  2. 自立を目指す
  3. ボーダーレスの考え方を基本に運営する。
  4. 今後の地域福祉活動のモデル創りをする。

以上の4点を活動の基本方針として、具体的な活動計画を準備した。団体役員(Director)には、先の準備会メンバーがそのままなることで了解された。このDirectorのうち、Ms. Khor Ai Naは、1996年8月から、新しいNGOの専従スタッフとなることも、本人及び他のメンバーから了承された。1995年にペナン州において団体登録の申請を行ったが、登録申請の代行会社が非営利活動になれていなかったこともあり、数回のやりとりの末、承認されなかった。1996年には改めてKLにおいて登録承認のための申請を行い、1996年9月に正式承認を受け、即時に登記を行った。これにより、NGOとして公然と社会活動が出来ることとなった。調査結果を繰り返し検討した結果、調査結果で全国的にも要望の強かった知的障害乳幼児の早期の関わり(Early Intervention Program)からはじめることとした。それから家探し、場所の設定、スタッフの採用とトレーニングなどの準備をしたが、資金面では日本の財団法人三菱財団のご助力によったことを記しておきたい。

ACSによる地域福祉活動

ACSは現在、知的障害児童及び成人を対象に4事業を進めているので、これらの活動内容について開設順にその概要を紹介させていただく。

EIPセンター(Firststep Intervention Centreの運営)

1997年4月、ACSの第1の活動として、0歳から6歳の知的障害幼児を対象とした活動がはじめられた。子どもたちが出会うはじめての療育訓練であることとACSの第1歩の活動ということで、この活動は“Firststep Intervention Centre”と名づけられた。独立センターとしてこの種のものはペナンではじめてである。
広めの民家を借りて、多少の改装を行い、遊具教具を購入し、新聞広告を出してスタッフを採用し、専従スタッフMs.Khor Ai Naの元の職場であるMalaysian CareのMs.Poh Wanらの協力によりスタッフ研修を行い、活動プログラムを作成し、開設にこぎつけたものである。なお、この年、日本大使館のご厚意により、草の根無償資金協力の資金を得、送迎用のヴァン、幼児の使えるコンピューター及びソフト、屋外でも使用できる大型遊具等を購入できたことは、大変幸運であった。

現在子どもの登録人数は52名、現地常勤スタッフは4名、アメリカ人言語療法士(ボランティア)で運営されている。日本のような形の乳幼児健診システムがなく、児童相談所の機能もないため、ほとんどの子どもは小児科医からの紹介か口コミによってセンターを訪れ、発達診断や面接を経てプログラムに参加することになる。マレーシアの就学時期は1月はじめなので、例年11月末には卒業式を行い、学校へと巣立って行く。開設から既に5年を経て、卒業児童数も30人を超えている。

プログラムの内容は、赤ちゃんグループ、中間グループ、卒業直前グループなどによって違い、また、個人の障害の傾向や程度によっても違うが、いずれの場合も個別的活動と小集団活動、訓練的内容と遊び的内容、その他情緒表現的活動、家での活動への示唆を含んだものをセットして提供している。一人の子どもについては、週2回を基準にしており、1回の時間の流れはおおむね以下のようになっている。

時間の流れの例示 活動内容 最大参加人数 メモ
9:00~ 9:45 Table Activities 4名 1対1+付添(主に母親か父親)
9:45~10:00 Gross Motor 8名 新たに4名が加わり、小集団
10:00~10:15 Break Time 8名
10:15~10:40 Group Activities 8名
10:40~10:50 Singing/Homework 8名
10:50~11:00 Good bye 8名 ここで初めの4名は帰宅
11:00~11:40 Table Activities 4名 後から参加の1対1活動
(午後も別の利用者で同様の時間の流れ)
課題もいろいろあるが、それらについては後述する。なお、利用者からは利用料の徴収はしていない。しかし、利用者はそれぞ れの経済状態に応じて、自らの判断で適宜ACSの運営のための寄附金を寄せてくれる。
地域作業所(Stepping Stoneの運営)

学齢期以降の知的障害者の活動の場については、調査を実施していた時期から大きな課題であった。そこで既に活動している現地NGOの元に資金提供しながら働く場づくりを試みたりもしたが、知的障害者が働くという意味が理解されず、学校の延長(マレーシアでは学校は半日)で教育的訓練的、かつ保護的であった。やはり自前のNGO設立の必要性を強く感じた時期であった。

ACSの登録後間もなく、ペナン島内の農村地域に作業所の建設のための土地探しをはじめた。街部分には何らかの福祉資源があるものの、村の方には障害者が利用できる場が何もなかったためである。やがて適当な場所に4分の3エーカー(約900坪)の土地が見つかったため、苦心して資金調達をし、はじめてのACS所有の土地とすることが出来た。設計事務所に依頼して作業所の設計をはじめる一方、建築のための資金調達活動に入った。建築許可の申請は1997年に提出したが、その後長い間許可を待つこととなった。

建築許可が出ないまま、障害のある人たちは自宅待機せざるを得なかったが、待ち切れず、仮の作業所を開設することになった。小さな2階建ての民家(テラスハウス)を借り、当初6名のメンバーと3名のスタッフで織物、ケーキづくり、廃油石けんつくりの作業所をはじめた。2000年1月であった。作業所の名前は、1歩1歩丁寧に石のようにしっかり踏みしめて進という願いを込めて“Stepping Stone”と名づけられた。仮作業所でのメンバーは9名、ローソクつくりも加わって、熱心な活動が行われてきた。メンバーが受け取る賃金は1ヶ月3,000円弱であったが、彼らには政府の手当が1ヶ月6,000円余り支給されることになり、彼らは毎日朝9時から4時半まで作業を続けてきた。当初はメンバーの送迎をスタッフがヴァンで行っていたが、現在ではバスを使って自主通勤している。将来の自立した地域生活を目指してさまざまな工夫が行われているが、作業種を自分で選ぶというのもその一つである。昨年の7月、ACS主催で障害者の自立セミナーがペナンで行われ、全国から170名ほどの障害者やワーカー、家族が参加したが、Stepping Stoneのメンバーの一人がスタッフのサポートを受けながら仕事の紹介や将来の夢を語り、満場を感動に包んだ。Stepping Stoneは、開設当初から日本の郵政事業庁国際ボランティア貯金の配分金によって運営されており、本人、家族や地域の人々から感謝されている。なお、新しい作業所建設については、「障害者の地域生活センター」として建築許可が得られ、2003年1月、ようやく完成した。6月に使用許可がおりたのでStepping Stoneを発展的に閉鎖し、現在は環境、設備などを整えたうえ、新たに総合的な地域生活支援活動が開始されるばかりとなった。

障害者職業訓練センター(STEP Training Centreの運営)

ペナン島の街部には少数ではあるが知的障害者の活動の場があるが、本人を一人の大人として自立を目指すような活動は皆無であった。そこでACSは、1998年からyoung adultのsocial club と称して週2回午後の時間を使って織物や美術活動、レクリェーション活動などをはじめた。本人及び親たちから、回数を増やせないか、時間を延長できないかという要望が出されるようになった。

そんな折、ある篤志家から無償で場所の提供をするとの申し出があり、これを検討した結果、social clubを発展的に解消して職業訓練センターを準備することとなった。それは、街部には各種工場、商店、屋台、ホテルや病院などのはたける可能性がある場が多くあるため、職業的態度や技能を身につけることによって就労も可能であろうと考えたからである。
2001年1月、STEP Centreとして職業訓練が始まった。STEPとは、Skills Training Employment Preparationの頭文字をとった名称である。Traineeは9名、スタッフ3名で1年間で就労を目指すというものであった。家族にも自覚を持ってもらうべく、利用料を1ヶ月日本円にして約3,000円徴収することとした。プログラムには、工場の下請的な作業、自主制作的作業、工場、高齢者福祉施設、ホテルでの実習などの他、自己管理や社会生活スキルなどが盛り込まれた。また、家族の元を離れての宿泊体験やレクリェーション活動も行われた。しかし、必要な訓練事項があまりにも多かったこと、プログラム化の緻密度が欠けていたこと、1年という期間が短かったこと、社会全体の不況などの理由で、1年後に就労できたものはいなかった。現在さまざまな反省材料を再検討しながら2年目の活動が進められている。運営の費用は、開設前に行われたCharity Fareの収益金が充てられたが、今後どのような資金計画をもつかも課題の一つである。

移動おもちゃ図書館(JOMの運営)

1993年に調査を始めた頃、一つ疑問に感じたことがあった。それは、調査対象が、政府の登録の済んだ人たちか既にある福祉資源を利用していた人たちであり、しかもそれらの人たち全てを合わせても人口に対する予測される知的障害者の人数には遠く及ばなかった。調査対象となるはずの半数以上の人たちは一体どこで何をしているのか、その人たちにこそサービスを提供する必要があるのではないかが、疑問であると同時に課題であった。そして比較的初期の段階で思いついたのが「移動おもちゃ図書館」であった。

おもちゃ図書館は、通常の図書館の考え方の「本」の代わりに「おもちゃ」を取り入れたものである。即ち、図書館で本を読み、あるいは借りるように、おもちゃ図書館でおもちゃで遊び、子どもの気に入ったおもちゃを貸すのである。遊びながら他の子どもと関わり、障害のない子も一緒に交わり、親も交流するというものである。戦時中にアメリカで貧しさ故におもちゃで遊べない子どもたちにおもちゃを与える目的で、親たちがおもちゃを持ち寄ったことに始まるといわれる。戦後になって、障害児におもちゃで遊ぶ機会を提供する活動として英国で始まり、国際障害者年を契機に日本でも広がり、現在日本だけでも800カ所ともいわれている。

ACSは、発達支援の資源に乏しく、交通も不便な地域の障害をもつ子どもたちのところに、おもちゃを持って訪問し、子どもたちに遊ぶ機会を提供し、家に閉じこもっていた重い障害をもつ子どもたちを戸外に誘い出し、親や家族や近隣の人たちにも関わろうと計したものである。いわばおもちゃの宅配便として移動おもちゃ図書館のプロジェクトを開始したのが、2001年4月であった。日本の個人から寄贈を受けたヴァンを使い、専任スタッフ1名を採用し、日本日本のおもちゃ図書館財団やペナン日本人学校の子どもたち、ペナンの現地玩具会社などから寄贈を受けた玩具でスタートした。このプロジェクトは“JOM”と名づけられた。JOMとは、英語ではLet’s go!の意味のマレーシア語で、一緒に遊ぼう、一緒に幸せな人生に向かおうという意味を込めた。現在、登録している障害児の数は約30人。3カ所のPDKと8人の子どもの家の訪問を続けている。専任スタッフ1名で、おもちゃの修理、クリーニングを服務管理全てを行っているので、さまざまな困難があるが、ボランティアの申し出もあり、今後の発展が期待されている。

このプロジェクトの開始以前から、日本のJICAに運営費の協力要請をしているが、現時点で正式契約に至っていない。日本の考える国際協力の考え方や進め方には、現地弱小NGOとしては疑問を感じさせられることが多い。



以上、マレーシアのNGOであるACSの成立から現在行っている活動について、考え方、経過、現状について述べさせていただいた。現在のスタッフ数は、常勤現地有給スタッフが13名(1名は事務担当)、アメリカ人常勤ボランティア1名(言語療法士)、日本人常勤ボランティア3名である。運営費は年間約RM400000.00(日本円で約12,000千円)であるが、マレーシア政府からの補助金はなく、日本の支援団体(Asia Community Service & Exchange ~ACE)からの支援金をはじめとする日本の諸団体や個人から全体の約60%、他は現地の企業や個人からの寄附金である。
多民族の小国マレーシアは、21世紀の世界のモデルともいえる国である。それは、民族も宗教も言語も違う人々が、それぞれの持つ習慣や文化を維持し続けることを国の方針として認め、国民がそれを認め合って生きているからである。勿論、日常の中ではさまざまな軋轢がないわけではないが、過去の混乱の経験を克服して、紛争のような事態に至ることを回避しながら平和的に暮らしているからである。多民族多宗教で、お互いがそれを認め合いながら、マハティール首相の提唱する “Caring Society”の構築を国民が国の目標として目指すことは、大きな意味のあることであろう。世界がもし忍耐と工夫を続けるならば、平和な時代が訪れるであろう。福祉活動は平和を目指す活動である。少数の障害をもつ人たちや何らかの福祉ニーズをもつ人たちが、その人らしさを発揮して生きるためには、社会が平和であることが欠かせないからである。

平和な社会は、福祉社会でもあるはずである。どの社会にも、障害者、高齢者、貧しい人、病める人、親のない子どもなどがいるが、どのような人たちもその人らしさを発揮したいと願っているはずである。それが実現する社会が福祉社会である。福祉社会を構築するためには、一人ひとりが努力することが必要であるが、合わせて、家族や周囲の人たちが互いに助け合うこと、それに対して行政が支援のシステムをつくり財源を確保する公的援助を行うことも重要である。日本の福祉における公的援助は高い水準であるが歴史的に施設整備に偏し、国民が直接の福祉活動から離れた問題点を持っている。マレーシアの場合は、公的援助が極めて遅れており、法的整備をはじめ予算の確保など多くの課題を持っている。今後のためには、日本の反省も含めた経験を提示し、何が本当に求められているかを共に模索しながら協力することが大切であろうと思う。

マレーシアで福祉活動に関わりはじめて10年あまりを経た。個人レベルの交流は別にして、公式には連邦政府や全国団体と連携することなく小さな地域社会の中での小さなNGOの実践活動に専念してきた。そこで、小さいことの意味や人間でも組織でも違いを認めて支え合うことの大切さを学んできた。共通項を無理に探して一つの目的と方法に集約することよりも、むしろ違いに意味を見いだして協力することの方が現実的のように思われる。さまざまな形の小さな地域活動が、アジア地域に、あるいは世界に広がることを期待している。そして、多様を受容することが、これからの課題であると考えている。(2003年 中澤 健)

 

商業音楽の音楽賞