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あぁ、世も末なんだろうか・・・?


 それにしても長引く世界各地の動乱、何も出来ない国連、地球圏の崩壊による気象の異常、精神の荒廃を思わせる奇々怪々な事件・事故!平気で命が奪われるご時世。一体これは何なんだ。これからどうなるのか?

 神様の怒りだろうか。或いは警告と受け止めるべきだろうか。目に余る人間の奢り。あまりの慢心。・・・いい加減に身の程をわきまえろ!と。

 そんな中、首相は暇を見つけては外国歴訪。次から次へと国境を越えて首脳会談。大盤振る舞いの無償円借款・・・。日本の国民には、よく働いている首相と映るのだろうか。

 私には、折角の機会なのに、日本の役割に気づきもしないで、大間違いをしているみたいで、見るに堪えない。本人は気づきそうもないし、マスコミにも期待出来ないから、国民が投票行動で教えてあげるしかないかもしれない。

 世界が世も末のような動きの時、自国の首相があまりに間違った動きをする時、私の思いを端的に書き留めておきたい。

 大国面(ズラ)も無償円借款も目をつぶるとしても、最も彼らしくて最大の問題は、国民を抜きにしていること。自国民も訪問国でも。国のトップ同士でやりとりすれば全て解決というやり方は必ず破綻する。関係というのは、個人でも国でも、ある程度の時間をかけることが絶対必要条件。トップで片を付ける、金に物を言わせる、この二つが、日本を駄目にする。何でもかんでも速成の発想。本物は時間がかかるのに。

 中国や韓国との問題も、あちらにも大いに問題はあるが、安倍さんの下手さには目も耳も覆いたくなる。首相らしく相手国の国民感情への配慮があれば、事態は全く違ったのに。国民なんて眼中にないという態度では、外交が上手くいくはずがない。民主主義の国の政治家を自負するなら、顔の向きが違うんじゃないか。軍隊のトップや財界のトップじゃない、民主主義国の首相って何だか知ってないみたい。悲しい。

 観光立国だのカジノだのと言っているが、こんな上っ調子でよいのか。もっと地道に、例えば道路や建物に外国語の表示を増やすとか、節約旅行をする外国人でも楽しめる日本を工夫するとか、時間をかけて準備することがいろいろあるんじゃないか? 露骨にお金儲けばかりでは、寂しいだけでなく、いかにも恥ずかしい。

 平和憲法を持つ国の首相らしく、改めて武力を決して使わない宣言をして、ロシア、中国、米国などと共に停戦調停を呼びかける時。そういう意味では、世も末のような今、安倍さんにチャンスだと思う。世界の日本、配線から復興した日本、唯一の被爆を経験した国、その日本にだけ出来る大きな役割。他国リーダーには出来ない、起死回生の地球復興に向かえたら、世の末でなく地球再生なのだが。

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まやかしだらけなのに、なぜ支持率維持?

世界中がきな臭くて、危うさが漂う中、一体日本はどうする気?

気になるのは、安倍首相の言葉のまやかし。マレーシアから見ているせいか、世界中で日本人が信用をなくすのではないかと心配。以下に例示。

①積極的平和主義~平和憲法を持つ国の首相らしくて良いのだが、意味が違うらしい。普通考えれば、平和主義は兵器戦力を使わないこと。積極的とつくのだから、兵器戦力を使わないだけでなく、持たず、外交努力を継続し続けるのかと思いきや、他方で同盟国と武力で共同戦線を張るための集団的自衛権を主張している。これは全くまやかしではないだろうか。

②中国と韓国に対して、対話のドアは常に開けている、と言っているのも「まやかし」そのものだと思う。対話のドアを閉め切るような、国民感情を真っ先に逆撫でしておいて、ドアを開けているというのは、国民感情抜きの「首脳会談依存」。これでは首脳も出ては来ないだろう。外交音痴と言われても仕方がない。抗日的な歴史教育が学校で行われている現実を知って方法を考えるのが、戦略的互恵関係への道ではないのか。遠慮は不要、言うべきは言うという主張は受け入れるにしても、国民感情に鈍感で、言葉だけ飾って自分は正しいと言っても、虚勢、独善、自己満足のそしりは免れない。飽くまでそれを進めたら、只の国粋主義者と言われるだけ。まぁ、国益には繋がらない。

が、日本国内で依然支持率が高いと言うことは、日本国民の意識に問題があるのだろうか。それとも、単に国語力の問題?

最近の日本、分からないことだらけ。今日はこれまで。

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石原新党に期待と不安 さぁ、どうする?

政治の混迷が続いている。政権交代以前から、日本のトップは毎年代わり、その都度、どんな形の日本を目指すかとの問に、トップからの明確な答えはなかった。もし質問した側が問われたとしても、明確には答えられなかっただろう。やや続いた小泉さんの手法は勇ましくて面白かったが、好戦的な当時のアメリカ大統領に密着するばかりで、5年という時間があったにもかかわらず、例えば沖縄をどうするとか、財政再建と社会保障などの展望は見えず、郵政民営化に熱を上げただけだった。

今、強いリーダーが望まれている中、石原慎太郎都知事が亀井氏や平沼氏と新党立ち上げ準備をしているという。見識ある高齢者に一度政権を戻したらどうかと提案してきた私としては、悪くないなぁという思いが強い。大阪の橋下市長がどう動くかとマスコミは耳を澄ましているが、そんなことはどうでも良い。生気を失った若者が、もてる力が発揮したいと思えるような、そんな社会、そんな時代にするためには、強いリーダーシップで早急に教育を改革する必要がある。単に民主主義、平等、公平といった形骸でなく、自分の価値基準を持った、思考力と表現力のある子どもに育って欲しいと思うし、石原さんはその面では同じ思いだろうと思えるからだ。

だが、不安も大きい。正統派保守の色合いから感じる、国粋的な軍国への臭いがするからだ。君が代も国旗も天皇制も私は否定しない。が、象徴天皇を基礎にした現在の平和憲法を私は支持してきたし、これからも当分の間は支持したい。平和と武器は馴染まない。それに今は、国土も経済も、帝国指向の時代ではない。いわば、地方化、地域化(Localization)の時代だと思う。

あれもこれもと自分の願いばかりを挙げつらうのは虫が良いというものだろうか。基本は矢張り、国のトップに良き指導者たれと期待する前に、国民のひとり一人が、国を思い明日の世界を思い、思いを託す人を判断する見識を持つことが大切なのだ。そこに向けて輪を広げることが、いま私たちに出来る唯一のことかも知れない。今度は間違ってはならないと思う。

 

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今日は旧正月、いわば元旦!

マレーシアでは今日と明日は国民の祝日。中国系のお正月だ。

この”Chinese New Year”前の1ヶ月ほどの賑やかさは、ペナンでもクチンでも経験したので驚かないが、このサラワクのシブの前夜からの花火と爆竹の派手さ加減はすごい。半端じゃない。 凄まじい。はっきり言ってうるさい程度のものではない。あたかも激戦地の只中にいるようだ。音だけではなく、閉めきった家の中にも煙が入ってくる。右も左も前も後ろも花火が打ち上げられて綺麗には違いないが、煙に霞んでくっきりは見えない。

日本の大晦日の、シンとした「行く年来る年」、ゴーンと遠くから聞こえる鐘の音が懐かしい。何という違いだろう。

そんな故国へのノスタルジアのゆとりもない激しい音の連続だが、妙にそう厭なものでもない。中国系以外の住民もいるのにと思う反面、思いっきり元気に景気づけをしている姿と、それを容認している他人種の人たちがいて、結構良いじゃないかという気分でもある。

翌朝は、花火や爆竹の沢山の屑、見ようによっては多量の赤い花びらに見えなくもないが、日本なら早朝から家人が掃いて清めるところだが、ここではそんなことはしない。殆ど誇らしげに、1日中そのままにしておく。どの家も、家の前はえらい剣幕だが、そこに沢山のお客さんが出たり入ったり・・・。

周り中がそうならと、少々火薬臭い家で、私もお昼から妻とビールを飲んだ。

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いろいろ感じた“日本旅行”

日本から戻って1ヶ月、事後処理やらMuhhibahの溜まった仕事が一段落して、やっと日常に戻りつつある。これが日常なんだと、懐かしいような気分だ。東京での約2週間は、久々の帰国というよりは、さしずめ「日本旅行」といった感じで、何とも慌ただしかった。震災の被災地の知人を訪ねたかったが、取り柄のない年寄りが行っただけでは迷惑をかけるだけかと、遠慮した。時間のかかる復興だ。息長く見守って出来ることをしたい。日本の3週間は、毎日が変化に富んで、正直なところ少々疲れた。
とはいえ、やはり故郷。墓参りをし、孫たちに会い、曇り空の下で紫陽花を見、新しい東京スカイツリーを、中卆以来初めて会った友と間近で見た。もう何時どうなっても良いと思うくらいだ。いろいろ感じたこと思ったことがある。今を忘れないうちに、思いつくままに書き留めておきたい。
その一は、男性の服装の変化。圧倒的にネクタイ姿が減った。地下鉄の駅から駅へと地下道を歩く内、すれ違った男性たちで、ネクタイをつけた人はほんの数人だった。毎日注意してみたが、時間帯の違いは余りなかったようだ。東京で働いていた頃、毎日ネクタイ姿だったのが嘘のようだ。原発事故による節電の影響か。感慨深いものがあった。
その二は電車の中の携帯である。男も女も若い人も年配も、電車の中では圧倒的な人が携帯とにらめっこをしながら何やらしていた。正直ちょっと異様な光景に見えた。そういえば昔は本を読んでいる人が目立った。次の世代が、漫画マガジンとウオークマンの音楽、1990年代以降、どんなだったのだろう。そして今は、みんな圧倒的に携帯とにらめっこ。携帯はもはや携帯電話ではない。この次は何になるのだろうか。フゥーッ !ついて行けない!
日本に3週間いて、笑い声が恋しくなった。笑い顔をあまり見なかった。ボルネオのバワンの村の底抜けのような笑い声や笑い顔、ちょっとしたことで涙するイバン。笑いや涙が、暮らしには大事だなあと思った。
今は当たり前になっていることが、ふと不思議に思える瞬間がある。今回、コンビニを見て感じた。昔、お店は朝は8時半頃開いて夕方には閉まった。夜は休息の時間だった。ある時、セブンーイレブンというお店がやってきて、朝7時から夜は11時まで開いているという。衝撃だった。間もなく、様々なコンビニが出来て、24時間オープンが当たり前になるのに、さして時間はかからなかった。人間のどん欲なまでの便利さの追求。そして町は益々明るくなり、夜も活動時間に組み込まれた。何を得て、何を捨てたのだろうか。
そうそうもう一つ。颯爽と歩く若い女性の足が長く綺麗になった。いつの間にこんなに?どうして?・・・などと考えても分からない。ただ、ちらちら眺めさせて頂いた。これって、今時はセクハラって言われる?
そう忘れてはいけない、もう一つ。若い人の親切に触れた。東京の地下鉄で、サッと立って席を空けてくれた若者に、大丈夫ですよと言ったが、間の悪い思いをさせてはすまないと思い、有り難うと言って座らせてもらった。正直疲れていたので助かったというだけでなく、彼の動きの清々しさが気持ちよかった。翌日、再び今度は女性に席を譲られた。優先席の前ではなかったが、30代くらいの女性が気持ちよく席を空けてくれた。そういう歳になったかと2日続けてにはショックでもあったが、若い人の優しさが嬉しくて心が柔らかくなった。
たまに日本で、懐かしい人に新鮮な気持ちで会ったり、新しい出会いに巡り会ったり出来るのは、有り難いことだと思う。健康であればこそ。皆さん、熱中症にご注意を!

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