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頑張っている日本の技術 in ボルネオ

 

頑張れ日本! 世界中の沢山の人々が声援を送っている。息を詰める思いで見つめている。日本はきっと復興すると信じ、むしろ楽しみにしているように思う。どういう復興の仕方をするのだろうか? 日本の国民は結束出来るのだろうか? 原発はどうするのだろう? 以前の日本に戻るのか、それとも、新しい姿形の日本を創るのだろうか・・・? 好奇の目ではなく、期待と憬れの耳目で見守っている。

今日はボルネオで頑張っている私の愛車について書こう。

私が長年に亘って愛用している車は、マレーシアが誇る国産車第一号、プロトン サガ イスワラ 1997年型。真っ赤なボディー。ペナンで13年前、7,000㌔の中古を手に入れた。その前に持っていた車をペナンの作業所の土地代を払う時に売ってしまい、2年くらいはバイクに乗っていた。ところが当時87歳の母が1ヶ月来ることになり、どうしても車を手に入れなければならなくなった時、シンガポールに移住する一家が新車に近い車を安く譲ってくれたものである。以来、13年間に何と42万㌔の走行。16万㌔でペナンから船便でボルネオに来て、もう8年になる。日本では、同じ車に20万㌔乗る人は珍しい。それが、42万㌔である。誇らしい気持ちだ。

実はこのマレーシア自慢の国産車のエンジンは、知る人ぞ知る、日本の三菱自動車の技術で造られたものである。今日もボルネオの大地をペナンナンバーPDW6855は快調に走る。日本の技術が、頑張っていることを知らせたくて、今日の登場となった。確かに相当の高齢である。鮮やかな赤の塗装は、はげかかっているところはあるし、1日エンジンをかけないでいると翌日かかりにくい。雨が激しい時に雨漏りするのには閉口だが、 無理に本降りの時に乗らなければ良いわけだ。

この頃はシブの街に出ると韓国車もよく走っている。が、何と言っても日本車は土地の人の憧れだ。シブで多いのは圧倒的にトヨタ、ペナンの人気はホンダだった。マレーシア国産車の車種も増えたが、今も人気はプロトン サガ。三菱自動車のエンジンの性能が良いためだろう。日本人の誇りである。

東北がんばれ! 日本がんばれ! 実は車ばかりではない。日本の技術は何でも定評がある。家電製品も草刈り機、精密機器から大型機械も、日本の製品は安心だという評価は此処ボルネオでは定着している。今度の震災で、中小企業の果たす役割の大きさも理解された。大企業だけでは動けないと。持ちつ持たれつ、これからだ。共助の精神で、自信を持って、国づくりをしよう!世界中の人々の注目の中で。

さて、私の赤いProton saga は、どこまで記録が伸びるのだろう。お互い高齢者(車)、いたわり合っていこう!

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頭に来ませんか?

あまり怒りたくない。出来るだけ穏やかに、感謝して暮らしたいと心がけているのに、あんまりだ。人として品を問われるのも嫌だから、書くのは控えようと思ったけれど、毎日毎日怒り心頭で、心中穏やかでいられないから、書くことにする。まさか、家に火をつけたり、爆弾を送ろうとは思わないけれど、思いは同じほど許し難い。

それは、原発関連の2点である。

まず、東電役員とやらの報酬。何かの間違いかと思った。何人の役員か知らないけれど、年俸7,000万円ですって? これって日本の常識なんですか? どういう経歴の人が、何をしていることの報酬なんですか? どの電力会社も似たようなことをしているんですか? そんなに儲かる仕組みで電気代を割り出しているんですか? 個人の家庭も大工場も、電力会社を選べない。我が家は東電は嫌だから東北電力からというわけにはいかない。今度の事故で報酬半分にしますですって? この報酬問題、日本国内でどれほど話題になっているか知らないが、外国で聞いて頭に来ている私が常識に欠けるのだろうか。多くの日本人がこのニュースに、まぁ、そのくらい妥当じゃないの!と思っているとしたら、矢っ張り日本の常識は狂っていると思わざるを得ない。住み慣れた家から無理矢理避難させられた人たちの前で、土下座して謝ったのは、あれはポーズですか? 個人的な問題ではないけれど、せめて自分の全てを差し出すくらいの姿勢があっても良いのではないだろうか。そして今度は辞任ですか! 正当な手順を踏んでいれば、これまでの報酬に加えて退職金を受け取って、会社は1兆2千億円の赤字決算。それで通るのが日本の常識なんて、思いたくない。責任とは何? 責任を果たすとは、何をすること? 命を差し出せとは言わないが、記者団の前に並んで頭を下げるばかりが責任ではないと思う。そういう無責任が通るのが日本の社会だとしたら、早晩日本は破滅するに違いない。家や土地を追われた人たちがどんな思いか、大事にしてきた畑、土、路傍の石ころ、命、隣近所の人々との絆、それらの全てを絶たざるを得なかった人々への思いを、軽くしかみられない社会は、100%間違いなく破滅に向かう。私の怒り心頭は、日本の国に破滅の道を歩んでほしくない思いなのだが・・・。

もう一つの怒りは、今頃3月半ばに起こったことを今頃明らかにしたこと。炉心溶融の可能性も否定出来なかったのなら、可能性を追求すべきだった。追求し、知った時点で情報を出すべきだった。今になって、写真を公開し、分かっていたと、これも世間の混乱を防ぐための配慮だったと言わんばかり。東電という会社の、これが体質だろうか。そんなに高所からの判断が認められているのか。放射能という一般の人が近づけない武器を持って、情報を操作し、世間を攪乱しているのは、正にあなた方じゃないか。日本に情報操作などはないのかと思っていたけれど、とんだ思い違いだったようだ。祖国日本はもう少し質の高い国だと思っていたのに、結局その程度の国だったということだろうか。怒りの持って行き場がありません。

もし共感される方がおられたら、コメントが欲しいです。あるいは、怒る人たちが結集しているのなら、教えて下さい。私も参加したいです。怒るべき時に怒ることが大切だと今、思っています。明日のために。

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明日の日本に向かって

大震災後に東北を中心に日本が変わってきているという。NHKに出演された堀田力さんの話である。法務省の検事を定年前に辞められた堀田さんは「さわやか福祉財団」を設立されたが、私がACEを始めるとすぐ会員になってくださり、以来ずっと会の顧問を引き受けて下さっている。

阪神淡路大震災の時、沢山の若者が何か出来ることをしようと阪神に向かい、それによって一般にボランティアが知られるようになったが、今回の東日本大震災では、人数だけでなく、深まりを見せていると堀田さんは言う。「共助」という思いと行動が、若い人たちの間で根付いてきている、素晴らしいことだ、新しい価値観が生まれてきている、と。NHKが、復興財源に増税を認めるかと国民にアンケートをした結果、増税反対は26%にとどまったと言う。これを見た堀田さん、増税と聞いただけで経済が冷える、国民が承知しないから反対などといっているのは政治家ばかり、国民の間に広がっている「助け合い」の思いに、もっと目と耳を傾けなければ、と言う。

我が意を得たりである。堀田さんが言われるように、Public、公共という概念を日本に取り戻そう。被災した人たちが本当に安心して暮らし働けるための土台は、国民がみんなで担おう。安心と安全と生き甲斐のある、新しい村や町が出来るように、被災しなかった者が可能な範囲で負担しようではないか。何故こんな形で、東北・関東の人たちが愛する人を奪われ、家も仕事も何もかも奪われなければならなかったのか。日本中を代表して神様の怒りに触れたのだろうか。昼と同じくらい明るい夜、何でも手に入る物の豊富さ、行き過ぎとしか思えない便利さ。これを支えてきた原発による電力。このままで良いはずがない。

しかも、東海地震も首都直下型も南海地震だって、明日起こっても不思議でない状況らしい。もう贅沢追求型の暮らしを見直す以外の選択肢はないのではなかろうか。

大きい消費による大きい経済、右肩上がりの成長が幸せの条件だった。原子力の平和利用、安全で経済的で環境に優しい原子力発電。それら全ての神話が崩れたといえるのではないか。考えてみれば、経済的とは、少ない消費で大きい幸せを手に入れることではなかったか。いま私は、名著シューマッハーの「スモール イズ ビューティフル」(講談社学術文庫刊)を再読している。人間中心の経済学という副題が付いている。是非とも多くの方に読んでほしい。

私がいま居る、物の豊富さやお金の意味では貧しいボルネオのイバンの村の人たちの、豊かな笑顔と笑い声の中にいると、明るい夜よりもローソクの灯の周りで笑い合う方が絶対幸せだと思う。私たちが、求めているものは一体、何なのだろうか。

最後にもう一つ。原発である。安全性だけの問題ではない。仮に安全性が確保されたとしても、使用済み廃棄物の処理問題と廃炉後の冷却問題は解決していない。シューマッハーは言う。自分でどうして良いか分からない問題の解決を、子孫に押しつけている、と。

日本は世界に先駆けて、時間はかかるだろうが原発廃止のスケジュールをつくり、実行してほしい。今回の事故を教訓にそれが出来たら、本当の意味で日本は立ち直れる。新しい世界のモデルを創ってほしい。そのためには、政治家や有力者がどうでなく、国民の一人ひとりが新しい価値観に転換することが必要だ。希望を持ってその実現に向かう時代づくりの熱が欠かせない。私たちの世代だけでなく、子の世代、孫の世代、ずっとずっと続いてほしい子孫につながることなのだが、それは可能だろうか。

私は、「共助」思想が世代内、異世代間で広がることで、未来に向かって確実に可能だと信じている。それが確かな幸せへの道だから、である。

 

 

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久しぶりのブログ

週に一度くらいは思うことを書きたいと思いながら、大分日が経ってしまった。毎日これが書きたい、この思いを残しておきたいと思いながら、なかなか思うようにゆかないものだ。マレーシアは昨日、Good Fridayで休みだったので、週末の今日と明日とで3連休。マレーシアはイスラム教を保護している国なのに、キリストの受難の金曜を国民の休日にしているところがすごい。多民族、多宗教なのに紛争のない理由がこんなところにもあるのだろう。

さて、そういうわけで少しゆとりが出来た。久々のブログ、今日は外国からの支援と日本がしている外国への支援について少し考えるところを書こう。

この度の東日本大震災では、ものすごい広い地域が大きな被害を受けた。犠牲となった方や行方不明者の捜索、被災罹患者の医療、瓦礫の撤去、原発の事故関係、生活物資や義捐金等々、様々な形で国内外から支援を受けた。外国からの素早い対応が有り難かった。これまで日本が、どこの国であれ緊急災害時には即座に多くの支援をし長期援助もしてきたから、この度は逆に多くの国々から支援を受けられたのだという。本当に有り難いことだと思う。誰かが困ったときに即座に助けの手を差し伸べることは素晴らしい。私自身がほとんど何も出来ないもどかしい思いでいるだけに、世界中の国々からの支援を本当にありがたいことだと思う。

日本はこれまで、たいていの場合支援する側で、受ける側にはならなかった。多分、戦後の復興時を除けば、このような規模の大きい形で支援を受ける側になったのは初めてだと思う。その日本の支援・援助の考え方について、一言だけ思うところを述べたい。

経済大国となった日本は、様々な形で被災国支援や途上国援助をしてきた。大小様々なプロジェクトで、大きな貢献をしてきて各国から感謝されている。日本人として誇らしい。が、反面、何とも気恥ずかしく感じる部分がある。それは、日本からの支援のテーマが「顔が見える援助」であることだ。「顔が見える援助」とは、援助を受けた人たちが、日本(人)に助けてもらったとはっきり分かってもらえる援助をするということだ。だから、例えば建物が出来れば必ず日本からの支援だと看板を出し、物品を購入すれば日の丸のラベルなどを貼ることになっている。同時に、現地の人たちの反響(謝辞)を報告書に書くことが義務づけられたりする。これが顔が見える援助(支援)なのである。

これを私が気恥ずかしいと思うのはおかしいのだろうか。支援なり援助を受けたら当然のことなのだろうか。私は支援や援助は受ける側の助けになればよいので、誰がしたかはした側から言うことではないと思えてならない。受けた側が、誰がしてくれたのか知りたい時に隠す必要はないが、自分がしてやったと言わんばかりの考え方はどうであろうか。メインテーマとすべきことは、「顔の見える援助(支援)」ではなくて、「本当に喜ばれる援助(支援)」に尽きるのではないだろうか。

今回日本は、多くの国々のお世話になっている。多くの国々がそれぞれ自分の国がやってあげたのだと宣伝まがいのことをしているだろうか。マレーシアにいる私にはその辺りは分からない。もしいろいろな国の人たちが、自分に出来ることをし、住民と交流して帰って行ったのならば、そして長く続く復興と同じように交流が続くならば、本当の心の理解が深まると思うのだが、どうだろうか。

 

  

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涙もろさとクールさと

悲しいときに涙し、嬉しいときも涙にくれる。純で水晶に譬えられる涙もあれば、血を想う涙もある。

若い頃、涙もろくて困った。本を読んでも映画を見ても、娘たちとアニメを見ても涙したものだ。テレビで「みなしごハッチ」など見ていて、クライマックスが近づくと娘たちはテレビでなく私を振り返っている。お父さんきっと泣くよ!見ててごらん、というわけだ。

やがて心を入れ替えた。可哀想だといって泣いていても何にもならない。障害福祉の仕事をしていたが、重い障害の子が可哀想だ、ご家族が気の毒だと涙しても何の役にも立たないと知った。だから、心の感受性は豊かに、表現はクールに、と決意した。あれから40年! だから私は人々から、クールな人と見られているかも知れない。しめしめである。

だが、どんなに決意しても、名作の映画やテレビドラマやアニメにはかなわない。かつてのアメリカの名画「12人の怒れる男たち」など、今思い出しても胸が震える。生きて来る上で、どれほど多くのことを学ばせてもらったか計れない。割と最近、といってもかなり前だが、アニメ「風の谷のナウシカ」や映画「しこふんじゃった」は、もう何十回見たか。今も涙なしに見られない美しさだ。絆、愛、生命には、涙腺に直結するスパイスが含まれているようだ。

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