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石原新党に期待と不安 さぁ、どうする?

政治の混迷が続いている。政権交代以前から、日本のトップは毎年代わり、その都度、どんな形の日本を目指すかとの問に、トップからの明確な答えはなかった。もし質問した側が問われたとしても、明確には答えられなかっただろう。やや続いた小泉さんの手法は勇ましくて面白かったが、好戦的な当時のアメリカ大統領に密着するばかりで、5年という時間があったにもかかわらず、例えば沖縄をどうするとか、財政再建と社会保障などの展望は見えず、郵政民営化に熱を上げただけだった。

今、強いリーダーが望まれている中、石原慎太郎都知事が亀井氏や平沼氏と新党立ち上げ準備をしているという。見識ある高齢者に一度政権を戻したらどうかと提案してきた私としては、悪くないなぁという思いが強い。大阪の橋下市長がどう動くかとマスコミは耳を澄ましているが、そんなことはどうでも良い。生気を失った若者が、もてる力が発揮したいと思えるような、そんな社会、そんな時代にするためには、強いリーダーシップで早急に教育を改革する必要がある。単に民主主義、平等、公平といった形骸でなく、自分の価値基準を持った、思考力と表現力のある子どもに育って欲しいと思うし、石原さんはその面では同じ思いだろうと思えるからだ。

だが、不安も大きい。正統派保守の色合いから感じる、国粋的な軍国への臭いがするからだ。君が代も国旗も天皇制も私は否定しない。が、象徴天皇を基礎にした現在の平和憲法を私は支持してきたし、これからも当分の間は支持したい。平和と武器は馴染まない。それに今は、国土も経済も、帝国指向の時代ではない。いわば、地方化、地域化(Localization)の時代だと思う。

あれもこれもと自分の願いばかりを挙げつらうのは虫が良いというものだろうか。基本は矢張り、国のトップに良き指導者たれと期待する前に、国民のひとり一人が、国を思い明日の世界を思い、思いを託す人を判断する見識を持つことが大切なのだ。そこに向けて輪を広げることが、いま私たちに出来る唯一のことかも知れない。今度は間違ってはならないと思う。

 

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今日は旧正月、いわば元旦!

マレーシアでは今日と明日は国民の祝日。中国系のお正月だ。

この”Chinese New Year”前の1ヶ月ほどの賑やかさは、ペナンでもクチンでも経験したので驚かないが、このサラワクのシブの前夜からの花火と爆竹の派手さ加減はすごい。半端じゃない。 凄まじい。はっきり言ってうるさい程度のものではない。あたかも激戦地の只中にいるようだ。音だけではなく、閉めきった家の中にも煙が入ってくる。右も左も前も後ろも花火が打ち上げられて綺麗には違いないが、煙に霞んでくっきりは見えない。

日本の大晦日の、シンとした「行く年来る年」、ゴーンと遠くから聞こえる鐘の音が懐かしい。何という違いだろう。

そんな故国へのノスタルジアのゆとりもない激しい音の連続だが、妙にそう厭なものでもない。中国系以外の住民もいるのにと思う反面、思いっきり元気に景気づけをしている姿と、それを容認している他人種の人たちがいて、結構良いじゃないかという気分でもある。

翌朝は、花火や爆竹の沢山の屑、見ようによっては多量の赤い花びらに見えなくもないが、日本なら早朝から家人が掃いて清めるところだが、ここではそんなことはしない。殆ど誇らしげに、1日中そのままにしておく。どの家も、家の前はえらい剣幕だが、そこに沢山のお客さんが出たり入ったり・・・。

周り中がそうならと、少々火薬臭い家で、私もお昼から妻とビールを飲んだ。

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いろいろ感じた“日本旅行”

日本から戻って1ヶ月、事後処理やらMuhhibahの溜まった仕事が一段落して、やっと日常に戻りつつある。これが日常なんだと、懐かしいような気分だ。東京での約2週間は、久々の帰国というよりは、さしずめ「日本旅行」といった感じで、何とも慌ただしかった。震災の被災地の知人を訪ねたかったが、取り柄のない年寄りが行っただけでは迷惑をかけるだけかと、遠慮した。時間のかかる復興だ。息長く見守って出来ることをしたい。日本の3週間は、毎日が変化に富んで、正直なところ少々疲れた。
とはいえ、やはり故郷。墓参りをし、孫たちに会い、曇り空の下で紫陽花を見、新しい東京スカイツリーを、中卆以来初めて会った友と間近で見た。もう何時どうなっても良いと思うくらいだ。いろいろ感じたこと思ったことがある。今を忘れないうちに、思いつくままに書き留めておきたい。
その一は、男性の服装の変化。圧倒的にネクタイ姿が減った。地下鉄の駅から駅へと地下道を歩く内、すれ違った男性たちで、ネクタイをつけた人はほんの数人だった。毎日注意してみたが、時間帯の違いは余りなかったようだ。東京で働いていた頃、毎日ネクタイ姿だったのが嘘のようだ。原発事故による節電の影響か。感慨深いものがあった。
その二は電車の中の携帯である。男も女も若い人も年配も、電車の中では圧倒的な人が携帯とにらめっこをしながら何やらしていた。正直ちょっと異様な光景に見えた。そういえば昔は本を読んでいる人が目立った。次の世代が、漫画マガジンとウオークマンの音楽、1990年代以降、どんなだったのだろう。そして今は、みんな圧倒的に携帯とにらめっこ。携帯はもはや携帯電話ではない。この次は何になるのだろうか。フゥーッ !ついて行けない!
日本に3週間いて、笑い声が恋しくなった。笑い顔をあまり見なかった。ボルネオのバワンの村の底抜けのような笑い声や笑い顔、ちょっとしたことで涙するイバン。笑いや涙が、暮らしには大事だなあと思った。
今は当たり前になっていることが、ふと不思議に思える瞬間がある。今回、コンビニを見て感じた。昔、お店は朝は8時半頃開いて夕方には閉まった。夜は休息の時間だった。ある時、セブンーイレブンというお店がやってきて、朝7時から夜は11時まで開いているという。衝撃だった。間もなく、様々なコンビニが出来て、24時間オープンが当たり前になるのに、さして時間はかからなかった。人間のどん欲なまでの便利さの追求。そして町は益々明るくなり、夜も活動時間に組み込まれた。何を得て、何を捨てたのだろうか。
そうそうもう一つ。颯爽と歩く若い女性の足が長く綺麗になった。いつの間にこんなに?どうして?・・・などと考えても分からない。ただ、ちらちら眺めさせて頂いた。これって、今時はセクハラって言われる?
そう忘れてはいけない、もう一つ。若い人の親切に触れた。東京の地下鉄で、サッと立って席を空けてくれた若者に、大丈夫ですよと言ったが、間の悪い思いをさせてはすまないと思い、有り難うと言って座らせてもらった。正直疲れていたので助かったというだけでなく、彼の動きの清々しさが気持ちよかった。翌日、再び今度は女性に席を譲られた。優先席の前ではなかったが、30代くらいの女性が気持ちよく席を空けてくれた。そういう歳になったかと2日続けてにはショックでもあったが、若い人の優しさが嬉しくて心が柔らかくなった。
たまに日本で、懐かしい人に新鮮な気持ちで会ったり、新しい出会いに巡り会ったり出来るのは、有り難いことだと思う。健康であればこそ。皆さん、熱中症にご注意を!

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頑張っている日本の技術 in ボルネオ

 

頑張れ日本! 世界中の沢山の人々が声援を送っている。息を詰める思いで見つめている。日本はきっと復興すると信じ、むしろ楽しみにしているように思う。どういう復興の仕方をするのだろうか? 日本の国民は結束出来るのだろうか? 原発はどうするのだろう? 以前の日本に戻るのか、それとも、新しい姿形の日本を創るのだろうか・・・? 好奇の目ではなく、期待と憬れの耳目で見守っている。

今日はボルネオで頑張っている私の愛車について書こう。

私が長年に亘って愛用している車は、マレーシアが誇る国産車第一号、プロトン サガ イスワラ 1997年型。真っ赤なボディー。ペナンで13年前、7,000㌔の中古を手に入れた。その前に持っていた車をペナンの作業所の土地代を払う時に売ってしまい、2年くらいはバイクに乗っていた。ところが当時87歳の母が1ヶ月来ることになり、どうしても車を手に入れなければならなくなった時、シンガポールに移住する一家が新車に近い車を安く譲ってくれたものである。以来、13年間に何と42万㌔の走行。16万㌔でペナンから船便でボルネオに来て、もう8年になる。日本では、同じ車に20万㌔乗る人は珍しい。それが、42万㌔である。誇らしい気持ちだ。

実はこのマレーシア自慢の国産車のエンジンは、知る人ぞ知る、日本の三菱自動車の技術で造られたものである。今日もボルネオの大地をペナンナンバーPDW6855は快調に走る。日本の技術が、頑張っていることを知らせたくて、今日の登場となった。確かに相当の高齢である。鮮やかな赤の塗装は、はげかかっているところはあるし、1日エンジンをかけないでいると翌日かかりにくい。雨が激しい時に雨漏りするのには閉口だが、 無理に本降りの時に乗らなければ良いわけだ。

この頃はシブの街に出ると韓国車もよく走っている。が、何と言っても日本車は土地の人の憧れだ。シブで多いのは圧倒的にトヨタ、ペナンの人気はホンダだった。マレーシア国産車の車種も増えたが、今も人気はプロトン サガ。三菱自動車のエンジンの性能が良いためだろう。日本人の誇りである。

東北がんばれ! 日本がんばれ! 実は車ばかりではない。日本の技術は何でも定評がある。家電製品も草刈り機、精密機器から大型機械も、日本の製品は安心だという評価は此処ボルネオでは定着している。今度の震災で、中小企業の果たす役割の大きさも理解された。大企業だけでは動けないと。持ちつ持たれつ、これからだ。共助の精神で、自信を持って、国づくりをしよう!世界中の人々の注目の中で。

さて、私の赤いProton saga は、どこまで記録が伸びるのだろう。お互い高齢者(車)、いたわり合っていこう!

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頭に来ませんか?

あまり怒りたくない。出来るだけ穏やかに、感謝して暮らしたいと心がけているのに、あんまりだ。人として品を問われるのも嫌だから、書くのは控えようと思ったけれど、毎日毎日怒り心頭で、心中穏やかでいられないから、書くことにする。まさか、家に火をつけたり、爆弾を送ろうとは思わないけれど、思いは同じほど許し難い。

それは、原発関連の2点である。

まず、東電役員とやらの報酬。何かの間違いかと思った。何人の役員か知らないけれど、年俸7,000万円ですって? これって日本の常識なんですか? どういう経歴の人が、何をしていることの報酬なんですか? どの電力会社も似たようなことをしているんですか? そんなに儲かる仕組みで電気代を割り出しているんですか? 個人の家庭も大工場も、電力会社を選べない。我が家は東電は嫌だから東北電力からというわけにはいかない。今度の事故で報酬半分にしますですって? この報酬問題、日本国内でどれほど話題になっているか知らないが、外国で聞いて頭に来ている私が常識に欠けるのだろうか。多くの日本人がこのニュースに、まぁ、そのくらい妥当じゃないの!と思っているとしたら、矢っ張り日本の常識は狂っていると思わざるを得ない。住み慣れた家から無理矢理避難させられた人たちの前で、土下座して謝ったのは、あれはポーズですか? 個人的な問題ではないけれど、せめて自分の全てを差し出すくらいの姿勢があっても良いのではないだろうか。そして今度は辞任ですか! 正当な手順を踏んでいれば、これまでの報酬に加えて退職金を受け取って、会社は1兆2千億円の赤字決算。それで通るのが日本の常識なんて、思いたくない。責任とは何? 責任を果たすとは、何をすること? 命を差し出せとは言わないが、記者団の前に並んで頭を下げるばかりが責任ではないと思う。そういう無責任が通るのが日本の社会だとしたら、早晩日本は破滅するに違いない。家や土地を追われた人たちがどんな思いか、大事にしてきた畑、土、路傍の石ころ、命、隣近所の人々との絆、それらの全てを絶たざるを得なかった人々への思いを、軽くしかみられない社会は、100%間違いなく破滅に向かう。私の怒り心頭は、日本の国に破滅の道を歩んでほしくない思いなのだが・・・。

もう一つの怒りは、今頃3月半ばに起こったことを今頃明らかにしたこと。炉心溶融の可能性も否定出来なかったのなら、可能性を追求すべきだった。追求し、知った時点で情報を出すべきだった。今になって、写真を公開し、分かっていたと、これも世間の混乱を防ぐための配慮だったと言わんばかり。東電という会社の、これが体質だろうか。そんなに高所からの判断が認められているのか。放射能という一般の人が近づけない武器を持って、情報を操作し、世間を攪乱しているのは、正にあなた方じゃないか。日本に情報操作などはないのかと思っていたけれど、とんだ思い違いだったようだ。祖国日本はもう少し質の高い国だと思っていたのに、結局その程度の国だったということだろうか。怒りの持って行き場がありません。

もし共感される方がおられたら、コメントが欲しいです。あるいは、怒る人たちが結集しているのなら、教えて下さい。私も参加したいです。怒るべき時に怒ることが大切だと今、思っています。明日のために。

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商業音楽の音楽賞